駅名のもととなった高島町の歴史は、我が国で初めての鉄道建設期までさかのぼることになります。
横浜(現在の桜木町)を起点として新橋までの鉄道を開通させるため、明治4年(1871年)に高島嘉右衛門(1832-1914)が埋め立て、その功績をたたえて明治5年(1872年)に高島町と名付けられました。
このため、駅名称には鉄道とゆかりのある「高島」を用い、それに「新」を付けて「新高島駅」とすることで、利用者等に対し計画開発地における新たな鉄道路線の新駅であることを印象づけるとともに、市営地下鉄「高島町駅」との区別化を図りました。
昭和54年(1979年)に「横浜市都心臨海部総合整備計画」という基本構想が発表され、昭和56年(1981年)に一般公募により事業名が「みなとみらい21」に決定をしました。
平成元年(1989年)には横浜市政100周年、開港130周年を記念して「横浜博覧会(YES’89)」がこの地で開催されました。現在「よこはまコスモワールド」にある大観覧車は、この時の博覧会で設置されたものを現在の位置に移し存続したものです。そして同年に中央地区の町名が「みなとみらい」に決まり、平成9年(1997年)にみなとみらい駅がある「クイーンズスクエア横浜」が開業しました。
駅名称は、市民や利用者にとってわかりやすく親しみやすい町名「みなとみらい」を用い、「みなとみらい駅」としました。
慶応2年(1866年)の横浜大火の後に諸外国との間に締結された約書に基づき、海岸通りから直線に吉田橋まで幅員60フィート(約18メートル)の街路が計画され慶応3年(1867年)に完成しました。その広い道路を外国人たちの珍しい馬車が音高く行き交い、やがて日本人が経営する東京通いの乗合馬車の発着所が吉田橋脇に構え、いつの日か「馬車道」と呼ばれるようになりました。
明治5年(1872年)には日本初のガス灯がともると、明治7年(1874年)から並びはじめた露店のガス灯とともに、その青い光が街路樹の緑に映じて文明開化のムードをかもし出し、馬車道は異国情緒あふれる繁華街として衆人の足を誘うようになりました。
「馬車道」という言葉の響きはロマンチック、エキゾチックな街の雰囲気が容易に想像することができるため、駅名称といたしました。
慶応2年(1866年)の横浜大火の後に諸外国との間に締結された約書に基づき、外国人居留地と日本人居住地の間に、幅員120フィート(約36メートル)の延焼防止のための街路が計画されました。
明治3年(1870年)、英国人R.Hブラントンの設計により工事が進められ、明治8年(1875年)に命名されたのが日本初の西洋式街路となる「日本大通」です。
駅名称は、この開港以降の町の歴史を物語る「日本大通」に送り仮名の「り」を付け、字感をやわらげ「日本大通り」といたしました。
駅周辺は関内地区のほぼ中央に位置し、神奈川県庁等の行政機関及び大さん橋をはじめ港湾関連施設が集積しています。
元町の歴史は安政6年(1859年)の横浜港開港までさかのぼることとなります。
当時、開港場を建設するため、元々あった横浜村の民家をおおむね現在の元町の位置に移設し、そこを元村と言い、それが後に「元町」に改称されました。
町は外国人居留地の住民を相手に日常品等を供給する商店街を中心に形成され、その後も発展を続けました。
一方、中華街は外国人居留地の一部から生じ発展した街であり、昭和30年(1955年)に中華街大通りに善隣門が建設されたのを機に、名称が「中華街」となりました。その後、街は飲食店、物販店を中心に急速な発展を遂げ、中華情緒豊かな魅力あふれる街として、いつも多くの観光客で賑わっています。
駅名称には横浜港開港以来の由緒ある町である「元町」と、人々から親しまれている「中華街」の間に「・」を付けて「元町・中華街駅」と二つの名称を併記することで隣接する大きな商店街の窓口としての役割を担っています。